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東京ノニ研究所 Dr. Noni

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30年前を回顧:Tranilastによる好酸球性膀胱炎の研究


信州大学医学部病理学教室前教授、現名誉教授であられる重松秀一先生は私の恩師です。
重松教授の"Robert H. Heptinstall Lifetime Achievement Award"受賞に際して、私への一言は「好酸球性膀胱炎で炎症の一部を知った、懐かしく思う」でした。


http://square.umin.ac.jp/zinbyori/IMG_1510.jpg

重松教授には、東京ノニ研究所のノニ通信に巻頭言を寄稿して頂いています(ノニジュースと糖尿病)。


これを切っ掛けに、フト30年前のことが思い出されてきました。
当時、30歳後半、若かりし研究精神旺盛、好奇心にあふれ、活動的な時代でした。
某製薬会社で新薬の安全性研究の業務についていたが、世界で初めての経口投与による抗ぜんそく薬Tranilastの安全性評価に従事していました。

1982年上市後、急遽Tranilastに起因すると思われる膀胱炎の副作用例が報告され、基礎研究と臨床とは関係ないけれども、急遽Tranilastによる膀胱炎の原因追究の命を受けました。
この会社で病理学適診断を行えるのは、私だけであったこと、1型アレルギーに関する研究を行っていたこと、当時も真大学医学部第一病理学教室、重松教授のもとで、腎臓乳頭得氏を起こす新薬の共同研究にも携わっていたことによるものでしょう。

抗アレルギー剤Tranilastの臨床治験中(上市前)、好酸球の浸潤を特徴とする膀胱炎の発生があったのですが、臨床開発担当者は握り潰し、厚生省にも我々安全性研究者にも報告はありませんでした。

全国の泌尿器科医よりほぼ毎日、膀胱生検の病理標本が届けられ、ピアレビューを重松教授(当時)にお願いしたものです。
好酸球という炎症性の細胞が膀胱壁内に浸潤し、血管を通過する像もみられ、重松先生の専門分野である糸球体腎炎の「ふえる腎臓」の像を思わせるものでした。

医薬品の安全性研究は、動物を用いるものですが、人体の病理解病を除き、初めて泌尿器科の先生方との生検組織を用いた研究を行うことになりました。
電子顕微鏡による組織像観察の必要性から、生検を行うという泌尿器科の先生からの連絡がある度に、松本から前日に移動し、翌午前中の生検実施時には小さな組織を二種類の固定液で固定し、電顕用の組織は帰りの電車のトイレで固定液の交換を行ったものです。
後で用をたした方は、異様な匂いに戸惑いを感じたことでしょう。

若かったのでしょうね。
ほとんど、会社と信州大学と各地の先生方を訪問し回っていました。
好酸球性膀胱が遷延化すると膀胱が小さく萎縮し、膀胱壁が線維化を起こし、間質性膀胱炎に陥ってしまいます。
間質性膀胱炎の患者は、北欧に多いようですがその病因は全く不明。
両疾患の関連性は?などなど興味と好奇心は尽きないものです。

臨床医の集まる泌尿器科学会に応募し、Tranilastによる膀胱炎の発表もさせていただきました。

先日、インターネットで私の名前と好酸球性膀胱炎をキィーワードで調べると2件の論文が検索され、本論文を引用した論文もいくつか認められます。
2報を発表して、1988年9月末にはこの会社を辞職し、翌年学位取得、財団に就職してからはJICA専門家としてフィリピン保健省に派遣され、これを契機に外国との関わりが続いているのです。

論文は2報。
ご興味ある方は是非お読みください。
Tranilastだけでなく、抗アレルギー剤によって膀胱炎を発症する例が報告されています。

1 抗アレルギー剤Tranilastによる膀胱炎の1例 PDF
  西垣敏明、栗原順、黒沢功、重松秀一
  信州医誌、36(1): 172-177, 1988

2 抗アレルギー剤Tranilastによる膀胱炎 PDF
  西垣敏明、重松秀一、宮崎公臣
  信州医誌、36(5): 641-652, 1988

関連論文もいくつかありますが、既に忘却。
残念なことは、スウェーデン・カロリンスカ大学との好酸球性膀胱炎の研究。
英文論文を投稿したが、修正を求められ、時間なく放置してしまったこと。


懐かしき30年前。
8時まで寝て会社へ或は大学へ行き、帰宅は12時になることはほぼ毎日。
決して外では飲まず、遊ばず、二人の子供の成長を唯一の楽しみとし、科学のなくなった製薬会社、データ捏造会社を退職することを想い生きていたように思う。

そして学位用論文はドイツの雑誌に受理され、JICA専門家の道は開かれ、残務の業務として最後の新薬、高脂血症改善剤の厚生省提出資料を作成し、1988年9月末で退職。
10月からは無職のまま、重松教授の下で肥満細胞の脱顆粒の三次元構造を可視化しようとしましたが、時間がなく、平成元年1月学位審査終了とともに、厚生省傘下の財団へ就職。

給料は、製薬会社の半分に。
しばらく神奈川県の財団と家との金帰月来の生活。
確か6月にフィリピンに短期赴任し、JICAの研修後10月に再度フィリピンの保健省派遣の長期専門家として、1993年7月まで赴任。

現在のようにデジタルカメラが利用可能であったら、フィリピン模様を多く残してご紹介できたと思うのですが、残念です。
フィリピン滞在中には、おおくの出来事がありました。

 *ク・デター *バギオ大地震 *連日の停電 *ピナツボ火山爆発 *テロ続発 *ルソン島最北たから最南への自動車旅行
 *フィリピン薬用植物の研究 *フィリピン・カラゲナンの安全性研究 *毎夜街での遊び などなど、想い出は尽きない。