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東京ノニ研究所 Dr. Noni

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東北を巡って‐桑原先生と大震災その後

2014年の師走、4日から7日まで埼玉県、福島県、山形県を巡ってまいりました。
年の瀬でありましたが、ふと心に思うことがあり一人車を駆け4日間、1300kmの旅。


2014年12月4日〜5日 
東京医科歯科大学名誉教授東先生のお宅を午後4時に出発して、常磐自動車をめがけて暗くなり始めた高速道路を飛ばす。
目指すはいわき市。埼玉県久喜市から約250km。
順天堂大学医学部病理学教室の元客員教授、桑原紀之先生宅に向かう。
途中電話があり、いつ到着するのかとのお尋ね。
先生の奥様も首を長くしてお待ちの様子。
東京の眼科クリニックを早めに閉じて、わざわざ私を迎えるためにいわき市へ帰宅して下さいました。

午後7時に無事到着し、先ずは奥様とビールで乾杯。
桑原先生は完全な下戸、アルコール代謝酵素が欠損しています。しかし飲み会を拒否しない。
とんかつとそばで有名な店で夕食をご馳走になるが、奥様と私はビールで再度乾杯。
先生は運転専任。



桑原先生ご夫妻
2014年12月5日朝

桑原紀之先生
元順天堂大学医学部客員教授
前自衛隊中央病院保健管理センター長、副院長
公益法人隊友会理事
NPO IEMS-Japan副理事長

桑原先生ご夫妻は順天堂大学医学部卒業。
桑原先生は病理学、奥様は眼科学を専攻。

桑原先生はアメリカ留学後病理学教室の助教授、客員教授となられてからは自衛隊中央病院研究検査部長、保健管理センター長を歴任。
実験胃がん発生研究より、臨床病理学者として胃がん、難病疾患であるベーチェット病、潰瘍性大腸炎などを得意分野とされています。
ヘリコバクターと胃がんの関係を誰より先に問題視していましたが、不運にも最終的に詰める研究体制が大学に無く、栄誉を得る機会をなくしてしまっています。

ディーゼルエンジン排気ガスによる肺腺がんの研究は、大きな話題となりました。

キッセイ薬品工業(株)の医薬品の安全性評価にご協力を頂き、世界で初めての医薬品3種類を上市できました。

自衛隊中央病院検査部長として辣腕をふるわれ、旧体質を改め医師としてできることとして災害緊急対策マニュアルを作られ、自衛隊に配備されている。都道府県と各市にも配布し、災害医療の認知度の向上に寄与している。

新自衛隊中央病院建設に際しては、責任者として機能的な病院建設にご尽力されました。

病理医、教師としてとして東京、いわきを往復の多忙な日々を過ごされています。

奥様は順天堂大学医学部眼科を離れられてから、医院を開設され、長男の医師とご一緒に患者さんと向き合っておられます。

ノニジュースとブアメラの愛飲者であり、薬効分野でアドバイスを戴き、かつ相談があった患者さんのセカンドオピニオンでご協力を賜っています。

そもそも、桑原先生との出会いは30年以上も前のこと。
安全性で解決が必要な問題が生じていた世界初の抗アレルギー剤のイヌの解剖に立ち会って頂いた、1月か2月の豪雪の日であった。
その後、私はその安全性評価を兼ねて、順天堂大学医学部病理学教室の研究生として先生のご指導を直接頂くことになった。

実験病理だけでなく、臨床病理のセミナー等を通じ勉強をさせていただきました。
ある医薬品開発の時は、毎度土・日曜日に東京から信州に駆けつけて頂き、討論用顕微鏡で何百枚ものスライドを観察したものです。

病理学や解剖学は医学の基本であり、病理学によって病気の成因、進行、治療行為の是非・合否、次いで結末が始めて理解できます。
病理学総論がこの分野の基本であり、桑原先生から何気なく、あらゆる機会を通じて教わり、以後の私の病気や健康の基本的な考えの礎となっています。

JICA、国際協力機構の専門家として、胃がんの病理診断の知識を特に南米に赴かれた経験があったため、私が同じく長期専門家としてフィリピンに赴任する際には、大いに激励されたものです。

ノニジュースやブアメラなど自然食品の開発時においても、私の理想を理解して下さり、良き相談相手になって頂いています。

順天堂大学医学部病理学教室の野球チーム、Sarcoma(肉腫の意)とキッセイ薬品の安全性試験グループのMongrel (雑種の意)とは、お互いに監督として1年に1回信州にて火花を散らしたもので、良き思い出となっています。

2011年秋、安曇野探訪
連続テレビ小説「おひさま」で昔を想いだし桑原先生ご夫妻が安曇野を訪問

当時、桑原先生のグループは、興味ある研究を行っておられた。
直接研究には携われなかったが、フィリピンでのJICA技術移転、そして現在の薬用植物の健康食品開発に大いに影響するものであった。

1カラゲナン
 食品添加物あるいは賦形剤として使用される英国産のカラゲナンが、大腸がんを発生することとその組織発生機構を解明された。
 フィリピンでは、日本の技術でフィリピン独自カラゲナン(PNGという)が製造され、世界中に販売されていたが。
 しかしその安全性は確認されておらず、米国やEUより懸念が上がっており、フィリピンのカラゲナン協会より政府を通じて私に協力の
  依頼があった。
 安全性試験はフィリピンに移転しなければならない技術の一つとして考えていたので、PNGを技術移転対象物質にすることを選ぶこと にした。
 ラットでの3カ月間の安全性試験で、PNGによる発がん性や他の有害事象は起きないことを確認し、米国FDAやEU、WHOに報告 した。
 この成果により、現在でもPNGは大きな輸出産業商品として、何億ドルもの外貨を稼いでいる。

2肺がん
 桑原先生の研究グループは、ディーゼルエンジンの排気ガスのよる肺がん研究を実施されていた。
 実験自身は、つくばの自動車研究所で行われ、大規模な排気ガス曝露装置には驚いたものです。
 5000余のラットを用いた実験で、ディ‐ゼルエンジンの排気ガスは、肺の腺がんや扁平上皮がん、それらの混合型の腫瘍の発生に関与し ているというものであった。
 
 参考出典
 1.高木由紀、ディ‐ゼルエンジン排出ガス長期吸入実験における肺を中心とした病理組織学的研究。順天堂医学、36(1)、80〜94、   1990
 2.Research Committee for HERP Studies, Diesel Exhaust and Health Risk: Results of the HERP Studies - Entire Text of    Discussion-, December 1988

     注。HERPは、Health Effect Research Programの略。自動車工業会依頼研究

 私の天然物研究にノニジュースやブアメラがあるが、日本のみならず世界の常識として喫煙が肺がんを惹起すると考えられている。
 しかし、日本では戦前まで肺がん発症は皆無に近く、近年の喫煙率の低下に拘わらず、肺がん発生は増加していると疑問が生じている。
 肺がんの発生を喫煙が主原因という風潮は、是正しなければならない。
 喫煙による肺がんの種類としては、扁平上皮がんだけであるとは、病理学者の現在の一致した意見である。
 しかし、日本人に最も多い肺がんは腺がんであり、約6割を占める。
 扁平上皮がんは約3割程度。
 ディーゼルエンジン排気ガスが肺癌発生に相当関与しているのではないかと考えている所以です。
 これも、桑原先生グループの研究が無ければ、思いつかなかったのでないか。

1989年、私はJICA専門家としてフィリピンに赴いた。
1992年、桑原先生は順天堂大学客員教授を兼ね、自衛隊中央病院に奉職され保健管理センター長の責務を果たされた。
病理部門の業務に限定せず、広く医師として、自衛隊員として、自衛隊の特殊災害への対応体制を構築されました。
「特殊災害対処ハンドブック : 中毒・化学剤・生物剤・放射線障害」冊子は、桑原先生が企画し、自衛隊員や地方自治体へ配布され、災害医療の基本的対応がマニュアルされた画期的なものである。

1995年の阪神淡路大震災、1997年のナホトカ号重油流失事故、1999年の東海村原子力発電所臨界事故、2004年の新潟・福島豪雨や新潟中越地震、2006年の新潟中越地震、2010〜11年の宮崎口蹄疫や鳥インフルエンザ感染症、そして2011年の東日本大震災・地震・原発事故などが発生。
この中で自衛隊の能力を基に、出来得ることを整理し対応出来たのも、桑原先生のご尽力が影ながら反映されたものと思われる。

福島県いわき市は、福島第一原発より4〜50kmの範囲にあるが風向きの関係で放射能大汚染派免れたものの、頻発する地震と浜通りの津波により大災害に陥ったには、宮城県、岩手県などと同様である。
当時、先生やお宅の安否が懸念されたが、何もすることなく見過ごした自分が恥ずかしい限り。
ただ、今回先生のお宅に宿泊させていただき、耐震住宅、浜通りから20kmほど内陸であったことを知り、またいわき市は被災者が最も住みたい地域のようで、先生宅の未使用の土地を住宅7軒と公園用に提供されており、一安心であった。

地震対策としての食器棚の施錠

災害対策への考え方や東日本大震災については、順天堂医学、医学プロムナードで「3.11プラスα(その1)と(その2)」2012、58、で述懐されています。

自衛隊中央病院を退官されても、災害対策関連のお仕事は継続して行っておられます。
現在、NPO法人国際緊急医療・衛生支援機構(International Emergency Medicine and Health Support, Japan)の副理事長
   (http://iems-japan.com)

私も、本機構の会員です。

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2014年12月5日
桑原先生のご指示によって、浜通りから太平洋側を北上して福島第一原発方面に向かうことに。
3.11災害から3年8カ月、復興状況を自分の目で確認したい。
大震災から77日目に被災現場を訪問したが、当時福島県は放射能問題で訪れることができませんでした。

東日本大震災77日後 http://youtu.be/KOsx6ohIqjk

先ず、塩屋岬まで南下し、美空ひばりの祈念公園を見学。

塩屋の岬

美空ひばりさんの病気治癒後復帰第一作 「みだれ髪」の碑
ひばりさんは、その日をどのように見て感じとったのだろうか?

その後、できるだけ太平洋側の道路を舞子浜、四ッ倉、富岡と走り続けるが、堤防工事のため不通であるところも多い。
新しい堤防が着々と建造される一方、まだ手づかずのところもあり、除染土の集積場が至る所にある。
津波で流され土台だけが残された地域、地震と津波被害で放置された家屋も多い。
国道6号線をJビレッジと福島第二原発を過ぎ富岡町のはずれで、通行止めとなった。

国道6号線沿いは、名ばかりの復興で新しい施設により隠ぺいされているように見受けた。
新築の小さな家々は被災者が再建したものと思われるが、住民はその1/3が戻ったにすぎず、特に若者が帰ってこないようだ。
太平洋側に長年住んでいた人々は内陸への移住を好まず、津波が届かない範囲の太平洋側に居続けたいようだ。
それもそのはず、太平洋側の空は青く、雪が降っている内陸とは気候風土が全く異なる。

東日本大震災から3年8カ月の福島県太平洋側の現状